高校数学の解き方

高校数学の教科書や大学入試の問題を解いています。簡潔で分かりやすい解答、模範解答を目指します。

小学校クラスの3分の2が学区内トップの公立高校に行った話

 私が通った小学校は山の中にある。当時、1クラス20人弱だった。女子はたった5人だった。だから女子を大事にした。

 2人ずつ手をつなぐなんてことは小学校ではよくあることだ。体育の時間や遠足、行事などでは、ほとんど例外なくこうなるのだ。

 先生からの命令のようなものだから、その指示にはみんな従う。どの女子は苦手だとか、ましてやキモイだとかは、ありえない。選べるだけの選択肢は、そこにはないのだから。

 好きな子はいても、それを口に出す男の子はいない。6年間クラス替えがないし、気まずくなったら顔を合わさなければよいなどとはならない。そもそも女子は全員大事なのだから。

 それが幸せだったのかもしれない。女子の中でも、派閥は存在しない。そもそも作りようがない。2:3になって、何の意味がある。

 いじめ、仲間外れなど、まったく経験しなかった。男子ですら人数が少ないのだから、仲間外れなどしていたら、野球でもサッカーでもすぐにできなくなってしまう。

 好き嫌いは、それはある。特に仲が良いとかもある。ただ、それが固定されて、周囲と交わらないとはならなかった。やはり、そこに選択肢がなかったからだと思う。

 やんちゃな子もいたし、おとなしい子もいた。でも、一人きりになる子はいなかった。「おひとりさま」を許さなかったのかもしれない。いい意味で。

 そのように先生に言われた記憶もない。親にもない。同級生が少ないからみんな仲良くしようと、誰かが言った記憶もない。

 タイトルにつられて読んでいる人は、この話がタイトルとどのようにかかわるのかと、そろそろ疑問がわいてくる頃だろう。もしかして、これは全く関係ない話なのかなどと疑ったりもするだろう。

 そう、まったく関係ない。正確には、関係があるのかどうかすら私にはわからない。もし、研究対象として、解明できるならしてみたい、くらいには少しだけ思っている。

 では本題に入ろう。

 20人弱のクラスの子のおよそ3分の2が、学区内トップの公立高校に進学した。間に、中学校がはさまっているのだから、関係がないと言ってしまうこともできる。

 百ます計算で有名になった陰山先生をご存じだろうか。注目されたきっかけは、私の記憶だが、小学校6年生で担任したクラスの子の多くが、有名大学に進学したことにある。間に、中学、高校がはさまっているけれど。

 ただ、私のイメージでは、陰山メソッドは、良いこと言っているが、手法が軍隊を連想させる。自主性を重んじるようだが、個々の創造性が入り込む余地がない。

 私の経験したものとは、考え方が全く逆のような気がする。ただ、判断は、読んでいる人に任せよう。

 まず、ものすごく注目すべき事柄から話すことにする。

 小学校の先生は、基本全教科授業をするが、専門教科も持っている。国語科とか、生活科とか。得意教科があると言った方が分かりやすいかもしれない。

 私の父は小学校の教師だったが、自分の苦手な教科の音楽と家庭科を、体育と習字の苦手な先生と交換していたらしい。

 また、話がそれたので戻すと、私の小学校時代、6年間で、担任は5人いた。それぞれの専門教科を書き出すと、

 1年生・・・音楽、2年生と3年生・・・家庭科、4年生はわからない。5年生・・・技術、6年生・・・美術だった。

 なんと実技教科ばかりが並んでいる。田舎の学校だからということはないと思うが、あまり算数や国語を徹底的に学習した記憶は、確かにない。

 5年生のときは、鉄道模型を作った覚えがある。どこかの教室に、線路が引いてあって、それをもとに1年間、なにかしら作っていた。

 6年生のときは、絵の作品展に出品した記憶がある。私は、入選しなかったが、何人か市の作品展で賞をもらっていた。

 私も、中学校や高校では、美術が得意教科だった。いや、得意は言い過ぎか、好きな教科だったかな。ただ、美術の成績は常に5だった。美術も技術も、とにかく物を作るのは大好きだった。

 ?もしかして、みんな実技教科の成績が良くて、内申点で拾われて、学区内トップの公立高校に進学できたのか?

 実技教科だけでトップ校にいけるほど世の中そんなに甘くはない。

 ただ、言っても、公立トップ校であって、有名私立や国立の難関高校ではないのだから。まあ、でも山の中からはそれらの高校には通えないのだから、これも選択肢はなかったということで。

 この話、実技教科の専門の先生ばかりが担任だったで終わっては、物足りない。もっと何かないのか。ということで、私がもっとも注目していることを最後に挙げてみる。

 4年生の担任である。専門教科はわからないが、当時流行っていた遊びがある。数人で輪になって、地図帳の同じページを開く。日本でも外国でもどこでもよい。親になった人が、そのページにある地名を1つ言う。すると他の参加者が一斉にそれを探す。見つけた人は、「Eの5」などと答える。次はその人が親になる。

 このゲーム終わりはないのだが、延々とやっていた。当時、日本の都道府県名と都道府県庁所在地、世界の国名と首都は、ほとんどの子が覚えていた。それを覚えていないと、勝負にならないのだから。

 もちろん得意不得意の子はいる。得意な子にはハンデをつける。それは子どもたちの遊びでは普通に行われることだ。そのハンデをもらうことで、さらにその子は得意になる。

 子どもたちの遊びとはいつもそういうものだ。そこに大人が介入してはいけない。子どもたちは子どもたちでルールを作る。それが楽しいかどうかも子どもたちが判断するのだから。楽しくなければ、延々やっていたりはしないということだ。

 この4年生の担任、中年の女性だったと記憶している。子どもの目から見た中年だから、定かではないが。特筆すべきは、置き勉(この字で良いのか?勉強道具を学校に置いたままにすること。)を推奨していたことだ。

 したがって、宿題は一切出さなかった。きっと親を説得したのだろうが、どのように説得したのかは知らない。5年生、6年生では、置き勉はなかったので、これができる先生とそうでない先生といるのだろう。

 まあ、今の時代にこれをやろうとすると、まず親を説得するところで挫折するだろう。陰山メソッドなら、説得力があるのだが。

 説得力があるから正しいということでもないし、多数の意見が正しいということもない。ただ、熱心に自分の理想を語る先生のやり方には、任せてみたいと思う。

 それが正しいかどうかなんて、やってみなきゃわからない。やってみたところで、正しいかどうかの判定も難しい。

 ただ、私は、クラスの3分の2が学区内トップの公立高校に行ったことの始まりは、この4年生の担任だと思っている。実技教科得意の先生たちもなかなか捨てがたいのだが。