あの問題を解いてみた。
引用する方法を知らないので、もう一度問題文を載せる。
最後に、同じような経験談を載せることにした。
問題
第 問
以下の問いに答えよ。
を満たす正の整数の組をすべて求めよ。
を満たす正の整数の組をすべて求めよ。
解答
で割ったときの余りに注目する。
は以上の整数とする。のとき、
左辺は余り、右辺は余りだから、これを満たすはない。
は以上の整数とする。のとき、
同様にして、これを満たすはない。
は以上の整数とする。のとき、
はで割りきれないから、これを満たすのはだけである。このとき、
以上より、
で割ったときの余りに注目する。
よって、これをで割ったときの余りは、が奇数なら、が偶数ならとなる。
次に、
は以上の整数とする。のとき、
は以上の整数とする。のとき、
は以上の整数とする。のとき、
は以上の整数とする。のとき、
したがって、が偶数で、またはのときだけ、両辺の余りが一致する。
よって、は以上の整数とする。として、与式に代入すると、
これより、
とは、和がで、積がのつの正の整数だから、
または
となる。よって、
以上より、
雑談
中学を卒業して、高校に入学するまでの春休み。ほんとにヒマだった。今のように、高校からの宿題はなかった。入学していないのだから、宿題を出される理由はない。そんな風に考えていた。
そのほぼ一か月、あることに熱中した。「頭の体操」だ。多湖輝著のクイズ、パズルの本。自分の答えが、勘ではない答えが出るまで、次のページにある答えを見なかった。見たくなかった。時には数日、同じ問題を考えていた。
答えがあっていても、違う理由が書いてあると、自分の理由のほうが簡潔で分かりやすいと考えようとした。書かれている説明を、自分流に解釈しなおしていた。
それから2年後。大学受験に向けて勉強を始めても、その姿勢は変わらなかった。数学に限らず、納得のいく理由のないものは受け入れがたかった。たとえば、社会の歴史では、なぜそうなったのか、その後どうしてそんな風になったのか。つねに、教科書や資料集で確認した。はっきりしないときも、自分なりの理由を考えた。
結果、得意の数学・物理・英語より、国語や世界史のほうが入試で良くできた。とくに世界史は満点だった。
受験勉強に参考書は必要ない。そもそも大学入試問題というものは、教科書の内容が理解できているかどうかを確かめるものだ。内容を解説した参考書は、教科書より詳しくてわかりにくい。解き方は自分で見つけるものだから、それを書いた参考書は意味がない。ただし解答例は必要だ。それを模範解答と呼ぶが、真似をしろという意味ではない。それを参考にして、自分の解答を作れば良い。
勉強のやり方も、問題の解き方も、人の真似をしても意味がない。自分にあったやり方は、自分で見つける。試行錯誤して。もし、今高3なら、半年は試行錯誤して、残りの半年で成果を出す。模試の結果が悪くて志望校を考え直せと言われても、自分を信じること。
確かに模試は悪かった。ずっと判定Dだったが、最終回でいきなりAになった。振り返ると、英単語や歴史年表、数学や物理の公式などを覚えようとしていたのは、試行錯誤の時期だった。意味も分からず丸覚えをするのは、自分には向かないと悟るのに半年かかった。結局、理解して納得するのが大切だった。
このブログの解答も、「頭の体操」のように、何日も考えることがよくある。解答ができると、答え合わせをする。入試問題は、予備校の解答速報。教科書章末問題は、巻末の解答・解説。あとから出すのだから、それらより優れていなくてはいけない。少なくとも自分ではそう思っている。
ただし、解法が複数できる場合がある。そんなときは、まずその問題はどの分野の問題か考え、その分野で学習したことを使って解くようにしている。たとえば、複素数の問題は、複素数の分野で解きたい。図形や関数を使って解くのは、やむを得ないときに限る。
上の問題も、「割り算の余りの性質」は教科書では発展扱い、「合同式」は学習指導要領の範囲を超えている。これはできれば使いたくない。出題者が想定した解答には含まれているかもしれないが。
出題者が想定した解答で、教科書の範囲内、それが扱われている単元(分野)の範囲で解答を作る。これがこのブログのポリシー。
毎日、一問投稿することに疲れてきた。
しばらく間を置くことになるだろう。
ブログ全体の目次(過去の記事の一覧)